2014年

7月

19日

奇跡の星でいのちは旅する

 

こんにちは。暑い日が続きますね。梅雨も明けてきそうな今日この頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

 

 

先月は祝島に撮影に行かせて頂いていました。7月1日には、政治において大きな出来事がありましたね。「解釈改憲による集団的自衛権の行使容認」です。僕は和歌山への帰り道にこの報に接しました。いろいろな意見があると思いますが、自分の感じたことを書いておこうと思います。学びの途中ですが。

 

 

憲法を変えるのではなく、その「解釈」を変えるということですが、それを一内閣が決めてしまいました(内閣は総理大臣が任命した国務大臣の集まりです)。これはトンデモナイ出来事だと思います。

 

 

憲法を変えるためには、国会で発議し、主権者である国民の賛同を得なければなりません。それが難しいと判断したのだと思いますが、これは明らかに憲法違反であり、憲法の規定にあるように無効となるべきだと思います(第98条)。全国で200を超える地方議会が「待った」をかけ、総理官邸前や各地でデモや集まりが行われたりしています。

 

 

そもそも、憲法とは、国民の人権を保障するために、国家権力が守らなければならないものです(第99条)。国民が国家権力の暴走を縛るためのものです。戦いを繰り返してきた人類が築いた英知の結晶とも言えると思います。それを時の権力者が勝手に解釈することは憲法に基づく政治という立憲主義の否定であり、「法の支配」から「人の支配」に戻ることだと言えるでしょう。

 

 

自国が武力攻撃を受けた場合、実力をもって阻止する権利を「個別的自衛権」と言い、同盟国が武力攻撃を受けた場合、自国への攻撃とみなして、実力をもって阻止する権利を「集団的自衛権」と言います。

 

 

政府はこれまで、憲法上許されている自衛権の行使は、自国を防衛するための必要最低限度の範囲に留めるべきもので、集団的自衛権の行使は許されないとしてきました。日本国憲法の前文と第9条に今一度、目を通してみましょう。

 

 
日本国憲法

前文

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

 

 
第九条

 

 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

第二項

 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

 

(憲法について、この機会にネットなどでいろいろ調べています。弁護士の伊藤真さんの記事はとても良い学びになり、参照させて頂いています。

「伊藤真のけんぽう手習い塾」

http://www.magazine9.jp/juku/index_2.html

第9回「自衛権と集団安全保障」

http://www.magazine9.jp/juku/009/index.html

第56回「憲法の観点から考える自国の防衛」

http://www.magazine9.jp/juku/056/056.php

 

 

この憲法の下で、日本は自衛隊を持つようになりました。主権国家としての自衛権を否定するものではないという政府の「解釈」によってだと思います。自衛隊は自衛のための必要最小限度の実力であり「戦力」にはあたらないという位置づけのようです。そして、これまで自衛隊に許されるのは、日本が攻撃を受けた場合に防衛することとしてきました。

 

 

この場合、武力の行使については議論がありますが、政府は必要最低限度の範囲で行使が可能という見解です。(憲法学においては、自衛戦争も含めた一切の戦争と戦力を放棄したと考えるのが通説のようで、警察力のようなものは認められても、武力行使はできないという見解のようです。)しかし、最近の論調では、攻撃を受けたら阻止するということ以上に、反撃することが強調されているように思います集団的自衛権を認めることで、これまで慎重に捉えてきた武力行使の可能性や限度もますます広がることが予想されます。

 

 

「主権国家なので、国際法上、集団的自衛権は認められている」ということも根拠として言われます。しかし、国連憲章(国際法)において、例外的に認められるという位置づけのようです。認められることと、例外的に認められることは意味合いが違ってきます。国家の安全を守るための考え方も時代と共に変わってきていて、国連(加盟国193カ国)では、自衛(個別的自衛や集団的自衛)という考え方から、みんなで守る「集団安全保障」という考え方に移っているようです。

 

 

「伊藤真のけんぽう手習い塾」第9回から引用させて頂きます(【カッコ内】)↓

【個別的自衛権も集団的自衛権も、国家がもともと持っているから当然の権利として、国連憲章で規定されたのではなく、大国の意向によって、国際政治の妥協の産物として規定されたにすぎません。しかも、集団安全保障が機能するまでの例外としての位置づけです。】

 

 

【集団安全保障というのは、多くの国があらかじめ友好関係を結び、相互に武力行使を禁止すると約束して、お互いの国家主権を制限します。もし万が一、この約束を破って他国を侵略する国があれば、侵略された国が自衛権を行使して反撃するのではなくて、他のすべての国が協力してその侵略を止めさせようとするのです。

 

 

集団的自衛権は、同盟国の敵を自分の敵として反撃しようとするので、同盟国だけで結束し、それ以外は敵とみる、いわば排除の論理を前提にしていますが、集団安全保障は、仲間を信頼して、共同して問題を解決しようという共生の論理を前提にしています。その前提とする発想がまったく逆向きなのです。】 引用ここまで。

 

 

「集団的自衛権」と「集団安全保障」は、言葉は似ていますが、全然違うものだと分かります。自国の国民を守るために武装したり、軍事同盟を結んだりすることが、他国にとっては脅威となり、果てしない軍拡競争を繰り広げてきました。そして、幾度も悲惨な戦争を人類は経験してきました。その歴史から生み出した知恵なのでしょう。

 

 

今、世界で起こっている戦争の多くは自衛の名の下に行われています。集団的自衛権も戦争の口実として使われているのが現状と言えるでしょう。

 

 

例えば、記憶に新しいイラク戦争はどうでしょうか。アメリカはイラクに大量破壊兵器の保持を大きな根拠として戦争を始めましたが、結局は見つかりませんでした。国連決議を経ずにイラクを先制攻撃しましたが、国連憲章に違反している上に、自衛権の行使ですらなく、侵略戦争と言えるのではないでしょうか。この戦争でどれだけ多くの人たちが犠牲になったでしょうか。自衛の名を借りた軍需産業の利益のための戦争だと思います。

 

 

現状において、集団的自衛権を認めることは、アメリカの起こすこのような戦争に日本が参戦していくことになり得ると思います。安倍総理が否定しても歯止めにはなっておらず、また、時の政権の判断で実行され得るでしょう。

 

 

武器や原発を海外に売り歩き、日本の経済を成長させようとする現政権の行動を見過ごすことはできません。原子力・軍需産業が国を越える存在となっている今、私たちは国という枠を越えて地球人として何をすべきか考えないといけないと思います。

 

 

日本人のいのちが大切なのと同様、地球人みんなのいのちが大切です。いのちを大切にする社会を目指すために、僕は憲法の存在意義を再確認しようと思います。そして、いのちを大切にする暮らしを自分から実践していこうと思います。

 

 

最後に。和歌山の家に帰ってくると、祝島もそうでしたが、とてものどかで世の喧騒がうそのようでした。自然の中に身を置くと、無数のいのちが感じられ、そのつながりの中に自分の存在を確認します。すべての存在が平和でありますように。愛で包まれますように。

 

 

「人の世は移ろいやすい。永久を誓った約束さえも人の一生に満たない間に忘れそうになっている。人の世の喧騒をよそに今日も地球はまわっている。いのちはめぐっている。何十億年という悠久の時の中で。もともとはひとつだったかもしれないいのち。いろんな姿になりながら、いのちのバトンをつないでいる。わたしの中に宿っているいのちの記憶を呼び起こす。みんな地球の子どもたち。わたしはあなた、あなたはわたし。世界はみんなが紡ぐ物語。今日も奇跡の星でいのちは旅する。」

 

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