2013年

6月

22日

われらのケンポウ

(上の映像は、6月1日、大阪市で行われた「ONE LOVE PEACE FESTA」のトークセッションです。僕も行ってきましたが、とても良いイベントでした。)

 

自民党が政権を取り、にわかに憲法改正が騒がれるようになりました。憲法について多くを知らない自分ですが、中学生の頃だったか、憲法の前文を暗記したのを覚えています。この機会に再び読み返すと、改めてその崇高さに気づかされます。

 

「日本国民は」で始まる前文は、主権者が国民であること《国民主権を示し、「わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し」と基本的人権》の尊重を表し、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」と、戦争放棄と《平和主義》を謳っています。

 

これは、第二次世界大戦の何千万人と言われる犠牲の上に、人類が築いた英知ではないかと思います。それを表すように、日本国民だけではなく、世界人類が平和に生きる権利についても言及されています。「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

 

今回、憲法に触れる機会を得て学んだことは、『憲法』とは国民の人権を保障するために、国家権力に守らせるもので、簡単に言うと、国家が国民に守らせるものである『法律』とは逆の役割をするということ。そして、憲法は国の最高法規であり、憲法に反する一切の法律は効力を有しないということです。

 

しかし、自民党の憲法改正案を見ると、法律のように、「国家が国民を縛るもの」になってしまっています。「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」と付け加え、憲法を国民に守らせるものにし、様々な義務を国民に課す内容になっています。

 

 自民党の憲法改正草案 (2012年4月27日)

 

第97条で永久の権利と定めた「基本的人権」の規定を削除し、あらゆる自由を「公益および公の秩序」に反しない限り、と制限しています。そして、国防軍の創設などは、戦争のできる国になることを意味しているでしょう。

 

憲法の理想を明らかにしている前文も、「日本国は」で始まることから国民主権の重要性は薄れ、そこには、戦争の反省も、崇高な理想も、僕には読み取ることができません。

 

自民党は、憲法を変えるために、まず、改正手続きを規定した第96条を変えようとしています。現行では、「衆参両議院の総議員の〈3分の2以上〉の賛成で発議し、国民投票の〈過半数〉の賛成」が必要ですが、これを「衆参両議院の総議員の〈過半数〉の賛成と、国民投票の〈有効投票の過半数〉の賛成」に変えて、ハードルを低くしようとしています。

 

憲法とは、人が人として生きる権利(人権)を保障するためのものであり、それは、強者(多数者)によっても奪えないものであるはずです。それを国家権力側が変えようとする時、僕たち国民は第12条を思い出し、実践しなければならないでしょう。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」

 

もし、憲法を変える議論をするのであれば、僕は、人権だけではなく、人間以外のいのちについてどう保障できるかを考えることが、次の時代に求められるものだと思います。

 

(下の映像は、とても勉強になったので紹介します。弁護士・伊藤真さんのお話です)

________________________________

映画づくりを応援して下さる皆様に感謝!

祝島と福島と海に生きる人たちを追ったドキュメンタリー「祝福(いのり)の海」

 

 

祝福(いのり)の海」

 

ホームページ↓

 

 

facebookページ↓