警戒区域に生きる 松村直登さん

長らく更新が滞ってしまいました。この間も多くの方から温かい声援や協力金を寄せて頂きました。心より感謝致します。

 

今回の福島報告です。短い滞在を含めると今回で11回を数えます。依然、福島第一原発から半径20㎞圏内と飯館村までの北西の地域で避難区域となっています(右図は経済産業省のHPより)。富岡町もその中の一つです。「富岡町でただ一人、留まり暮らす男性がいる」ということを知り、会いに行きました。松村直登さんです。最近の見直しにより、一部を除いて通行止めが解除されたばかりでした。松村さんの家は福島第一原発から約12㎞のところにあります。被曝を覚悟で留まる想いに耳を傾けました。

 

「一回は避難したけど、みんなオラのこと受け入れねえわけよ」と松村さん。原発が爆発した時は、一緒に暮らしていた両親と避難を決めましたが、親戚と避難所に受け入れを断られて、仕方なく家に戻ってきたと言います。一ヶ月後、両親は兄弟に連れられて行き、松村さんは富岡町にただ一人の住民となりました。彼を留めさせたのは置いて行かれた動物たちの存在でした。

 

首輪で繋がれた犬たちが「ワンワンワン」と鳴いていました。「みんな逃げてってお前だけ置いて行かれたのかって。餌食わしたら、隣もワンワンって鳴いて。どこまで行ったって犬がいるわけよ。しょうがねえ、なんとか餌して毎日食わしてやるって始まったのよ。」当初、世話していた犬や猫の他に、今ではダチョウや牛も加わっています。「命の覚悟もしたぞ。たぶん今日明日は死ななくても5年6年後には分かんねえって。ガンになんのか白血病になんのかってそこまで考えたけど、やっぱり置いていくわけには行かないと思って。待ってんだもん朝行くと。」

 

電気も水道もガスもなく、当時は自給自足のような生活だったと言います。水は山の斜面にホースを刺して確保しました。米農家ゆえにお米は十分にありましたが、おかずは山や畑で採ってきたり、川で釣ってきたりしました。「たぶん汚染されてる。これ食ったら被曝するって思ったけど、じゃあ食わねえで死ぬか食って死ぬか。どうせ死ぬんだったら食って死んだ方がいいべ。最初ひと口食ったら、うまいんでねえのこれって。はははは」と笑いながら話す松村さん。後に、ある博士に検査をしてもらった結果、内部被曝のチャンピオンだと告げられたそうです。体内の放射性物質は排出されていくと聞いてからは、汚染されていないものを食べることを心がけました。現在は、全国から届けられる支援物資を食べて過ごしています。一人の生活ですが、松村さんの元には活動を共にする仲間や国内外から多くの報道関係者が訪れます。最近、電気が復旧しました。何層にもなった蝋燭(ロウソク)の蝋が2年余りの歳月を物語っていました。

 

「闘ってるわけよ、この中で。言うなれば俺の仲間だから。」牧場の牛を指して言いました。震災前は、土建業と家業である農業の手伝いをしていた松村さん。まるで昔から牛を飼っていたかのように見えるのは、この間の試行錯誤の賜物なのでしょう。牧場主になるに至った経緯を聞きました。

「牛も悲惨な思いで生き残ったんだから。ほとんどの牛は餓死だから。やっと生き残って、飼い主が戻ってきて放して、フラフラっていたんだ、最初の頃は。もう誰が見ても駄目だべこれって。ところが自然の草が、あの頃5月6月って言ったらなんぼでも生えてるから、牛はそれ好きなだけ食ってみんな丸々になったわけよ。そしたら今度、農水省ではこれを殺処分だってなったわけよ。俺はそれ見た時やっぱり我慢できなかったもんなあ。だから牛も助けてやっからってなっちゃったわけよ。」

 

繋がれたまま置いて行かれた牛たちは空腹のうちに倒れ白骨の姿となっていました。「すべての動物がみんな、人間以外の動物ぜんぶ被害者よ」

人気のなくなった富岡町の夜の森地区の通りを桜が彩っていました。脇に立てられた看板には「放射線量が高い地域になります。観桜する際は車内から観桜いただきますよう」と書かれていました。ガイガーカウンターの数値は空間線量で約3.8(マイクロシーベルト/時)を示していました。松村さんの家の周辺では約2、牧場付近では約7~8ありました。測定する場所や高さによって変動するのであくまで目安でしかありません。年間の被曝線量(ミリシーベルト/年)はこの数値に約9倍(24×365÷1000=8.76)すると出てきます。これに内部被曝が加わることになります。事故前の一般人の年間被曝限度量が1ミリシーベルト、事故後に引き上げられた20ミリシーベルトに照らしても、生活するには厳しい場所であると言えるでしょう。

 

「なんでこういう世の中になったのかなあ」蝋燭の灯を前に松村さんが話します。「まあ人生ってか世の中ってのは、欲を満たすのに突っ走んだなあ。全ての欲を満たしたいってのが全ての人間にあるわけよ。そこに突っ走るとやっぱり無理強いが生じちまう。」「海もボッコした。陸もボッコした。地下もボッコしてっからなあ。」

話は続きます。「墓守って知ってっか。お墓。自分の先祖、自分も入るお墓。それはもう墓守ってしたいわけよ俺も。まあ別にそれは何ちゃねえんだろうけどなあ。ただここにいたっていうだけで、先祖がここを築いて、我々が生まれて、また子どもができて孫ができる。それは伝えたいわけよやっぱり。」

 

自分のいのちは先祖から受け継いだいのちであり、他のいのちによって生かされているということを忘れないようにしたい。松村さんに出会い、自分が目指したい、進むべき道は「いのちを生かし合う暮らしや社会」であるということを再認識しました。いのちとどう向き合うのか、今問われているのだと思います。

 

*松村直登さんのブログ「警戒区域に生きる~松村直登の闘い~」

 

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祝島と福島と海に生きる人たちを追ったドキュメンタリー「祝福(いのり)の海」

 

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コメント: 2
  • #1

    鍬野保雄 (土曜日, 11 5月 2013 20:13)

    すごい所に入って映画を撮っていますね。動物たちが松村さんをとても慕っているのが分かります。動物たちの命の恩人ですから。
    人間の果てしない欲望が、こんな大事故を引き起こしました。
    果たして人間は自らの欲望を理性でコントロールできるのか、いやそうしないと自分で自分の首を絞めることになることを教えられます。
    今も景気を引き上げようと、円安誘導、人工インフレをつくり出そうというのは果てしない欲望の充足をめざそうというわけで、この映画で松村さんが言いたいこととは対極ですね。きっと素晴らしい映画が出来るでしょう。松村さんが自らを犠牲にして人々に訴えていることは日本国民すべてが、世界中のすべての人々が聞く必要があると思います。現実のマスコミでは一切取り上げられない松村さんを全国の人々に世界の人々に知らせてくれてありがとう。

  • #2

    しらいわ (金曜日, 24 5月 2013 02:21)

    素晴らしい話が聞けて、よかった。人柄が出てて、動物たちが、幸せそうで、いい映像ですね。ここが警戒地域でさえなかったら。原発さえなかったら。そう強く思わせてくれる映像です。

 

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