「故郷・海を返してほしい」

福島県に来ています。これは前回(9/3010/6)の取材報告です。

 

東日本大震災から約7ヶ月。被災された方たちにとっては、一日一日が生きるための闘いだったかも知れません。そして、今なお多くの方たちが困難の中におられます。 

  

今回の震災を特徴づけるのに「原発震災」という言葉があります。

 

地震や津波だけなら、人の手によって少しずつでも着実に復興に向かえたでしょう。 

しかし、福島原発事故という人災がもたらした目に見えない放射性物質は確実に被災地の復興を妨げています。困難な中でも懸命に暮らす方たちの声に耳を傾けました。

 

映像で紹介するのは、全村が避難地域となっており、最近になってプルトニウムが検出されたと発表された飯舘村(福島第一原発から北西約3045キロ)と、いわき市久ノ浜の漁港(福島第一原発から南約30キロ)です。

飯舘村には誰もいないことになっています。が、村役場には多くの車が止まっていました。

 

話を伺うと、緊急雇用対策としてのパトロールの仕事に従事されている方たちでした。

放射線量が高いため、外にいるのは4時間以内に制限されているとのこと。 

(持参したガイガーカウンターによると、空間線量は約4.0(マイクロシーベルト/時)、草の上は約7.3でしたが、雨どいなどでは100を超えるところもあるそうで単純に数値化はできなさそうです)

 

しかし、地元の方たちはマスクすら付けていません。 

パトロールのおじさんは「もうほとんど飯舘の人たちは吸ってるわ」とあきらめたように言いました。

 

意図的に情報を隠した政府。加えて、官僚、企業、メディア、学者などから成る、いわゆる原子力村に属する人たちの責任は重大です。彼らには、いのちよりも守るべきものがあるようです。

 

政府は、文部科学省が30年前から約110億円の税金を投じて開発してきた、緊急時の放射性物質の拡散予測システム「SPEEDI(スピーディ)」を公開しませんでした(3/23にほんの一部、主に5月になって公開)。 

逆に、枝野元官房長官の「ただちに健康に影響はない」という言葉に象徴されるような曖昧で「SLOWLY(スローリィ)」な対応を取り、飯舘村を始めとする多くの人たちに、避けられる被曝を強いてきました。

  

飯舘村の人たちには何が起きたのか知らされませんでした。

13日にテレビを見て、または周りの市町村からひっきりなしにやってくる避難民を見て初めて知ったと言います。 

 

政府の対応は後手後手に回りました。(福島第一原発について↓)

 11日(21時)3キロ圏内に避難指示、10キロ圏内に屋内退避指示 

 12日(5時)10キロ圏内に避難指示15時)1号機爆発18時)20キロ圏内に避難指示

 1411時)3号機爆発 

 15日、2030キロ圏内に屋内退避指示

 25日、2030キロ圏内に自主避難のお願い

  

「放射性物質は風に流される」ということを無視して同心円状に避難指示が出されました。飯舘村が「計画的避難区域」に指定されたのは422日でした。

  

「あと帰って来れるか分かんねえべなあ」と話すのは、飯舘村で生まれ育った81歳のおばあちゃん。福島市の病院に行くために家に立ち寄ったところでした。ほうれん草づくりをしていて、息子さんは田んぼや牛の飼育をしていたが、今は家族バラバラに避難されているとのことでした。

  

「残念でかなわねえなあ」

その言葉には、原発で故郷を奪われた悲しみがあふれていました。

 

いわき市久ノ浜(福島第一原発から南約30㎞)は、5月に祝島の方たちと訪れたので二度目でした。

 

 津波で船を失った人ばかりでなく、命がけで船を守った人も漁に出れない状況が続いています。 

現在、漁師たちは魚を獲り、放射能汚染のモニタリングをされています。  

(魚種によってセシウムなどが検出されているそうです。詳しくは、今後通いながら見させてもらおうと思っています) 

 

「船を直すまでは張り合いがあった」と話す漁師さん。 

 生きがいである漁に出れず、がれきの撤去をして過ごす日々は退屈だと言います。 

「うちらは歳だからいいけど、20代の船に乗ってくれる息子が心配」 

 

ある漁業関係者は今の状況を深刻に捉えていました。 

「元大臣が“死の町”と言ったけど、ここは“死の港”になるだろう」

「政府の出している食品の基準は甘過ぎる。我々はモルモットにされている」

 

放射性物質は目に見えない。匂いもない。五感で感じとることができない。

それはとてもやっかいなことです。今回身をもって感じました。

そして、そのことが人それぞれの受け止め方をさせています。

放射性物質が目に見えない津波だとすると、想像する津波の高さが人それぞれなのです。

 

しかし、覚えておきたいのは、平常時の一般市民の被曝限度は法律で「年1ミリシーベルト」に定められているということ。

(国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告に基づき、放射線障害防止法などで定められています)

本来ならば、国は法律を守って国民に保障(補償)すべきだと思いますが、もはや福島県においては守れそうもありません。(福島市や郡山市などの都市部でも放射線管理区域=0.6マイクロシーベルト/時=年5.2ミリシーベルト 以上のレベルです)

 

「放射能汚染マップ」(クリックすると拡大されます)

左:地表面から1m高さの空間線量 右:セシウム134、137の沈着量の合計出典:文部科学省 2011/9/29 発表資料) 

 

国がしたことは、国民を守ることではなく、子供を含めて年20ミリシーベルトに基準を引き上げることでした。

これは、原発労働者の基準5年間で100ミリシーベルトなので年平均で20ミリシーベルト)と同レベルです。

 

しかも、これらは外部被曝しか考慮していません。呼吸をしない飲食をしない仙人のような暮らしをした時に受ける量です。実際には、外部被曝よりもっと危険な内部被曝を考慮しなければいけません。

 

私たちは途方もない問題を抱えてしまいました。

 

これは原発をやめるまではついて回る問題でしょう。そして原発に象徴される「誰かの犠牲の上に成り立つ社会」からの卒業が求められると思います。

 

危険だから都会には造らないと法律で定めた原発は、地方の人たちや自然を犠牲にすることを前提にしています。  

事故が起こらなくても、原発を回せば多くのヒバクシャが生まれます。それは、原発内で、ウランの採掘現場で、劣化ウラン弾が使われた戦地で。

最終的に残る核のゴミ(死の灰)には近づくことすらできず、人間社会から隔離して約10万年の管理が必要だと言われています。

 

原発をやめる理由はたくさんあります。僕には故郷を奪われた飯舘村のおばあちゃんの言葉だけで十分です。

 

対岸の火事だったかも知れない火が、私たちのお尻についた今、私たちは「自然の上に人が立ち、さらに人の上に人が立つ社会」を変えることができるでしょうか。

 

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最後に、今回福島行きでお世話になった皆さんに感謝します。

 

祝福(いのり)の海」

 

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